ブギーポップ再読
2006-09-30


はてなブックマークを覗いていたら注目のビデオにブギーポップ関連のものが挙がっていました。ちょうどちょっと前にブギーポップシリーズを再読したのですが、以前読んだときは『VSイマジネーター』『ハートレス・レッド』『ペパーミントの魔術師』の順で好きだったのが、今回は『パンドラ』に圧倒されました。特にラストシーン、谷川流の言う「王道」(の変則) だと思いますが、私の心に来る展開です。シリーズ最高作としてその名を挙げる人が (少なくとも私の周りでは) 多いのもうなずけます。

ついでに『ビートのディシプリン』も読みました。内容はよかったのですがラスト、ではなく「序章」が……。連載時には付いてなかったそうですが、この風呂敷きちんとたたんでくれるんですよね?

さらにアニメ『Boogiepop Phantom』も見ました。最初は原作を読んでいても全然意味がわからないと思っていたのですが第 4 話『MY FAIR LADY〜けがれなき少女への愛〜』で完全に惹きつけられました。『N・H・Kにようこそ!』と同じ「イタさ」を感じる話です。こちらのほうが自己投影はしにくいのですが、N・H・K と違ってギャグがない分一気に魅せられてしまいます。後は早乙女君の「今や、あなたは僕らの敵だ」が聞けたのがよかったところ。

しかし最初に読んだときから気になってはいたのですが「うう……」の多用や、面白くないという意味での「つまりません」(『夜明けのブギーポップ』p. 171) という表現はいかがなものでしょうか。今回「嫌われたくない、としか思わないことはできないのだ。」(『VSイマジネーター Part 1』p. 241) という一文が出てきたときには思わず我が目を疑ってしまいました。三重否定そのものは涼宮ハルヒシリーズにも出てきますが (溜息か退屈にあったはずですが今は見つけ出せませんでした)、あれは古泉という説明好きな人物の台詞だからまだ許せるもの。地の文で使われるのは正直読みづらいと思うのですが。

[マンガ・アニメ等々]

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